「なぜ学ぶのか?」ということについて
今回は[何故、学ぶのか?」ということについてのお話です。
学生の頃の勉強で、答えがある学びで疲れてしまって…成績がどんどん落ちてしまっても「勉強しよう、学ぼう」という気になれなかった私に「なぜ学ぶのか?」についてお話をする資格があるのか否かと思いつつ、当時、勉強を頑張っていた同級生の顔が浮かんできて「かっこよかったなぁ。なんであんなにコツコツ、コツコツ学びを積み上げられるのだろう。」微分積分も簡単に解くし、物理は担当の先生がこれはあっているか?と聞くぐらい勉強を頑張ってる友達の顔が浮かんできます。
自分はどうだったかな~と振り返ると…図画工作が大好き、体育はもっと好き、そう振り返ると手を動かして体を動かしてという学び方が自分には向いていたんだろうなと振り返っています。その時はそういう学び方に逃げているのだと好きではなく、体育は好きだから一所懸命やれるのですが、そのことが決してカッコ良かったとは思えなかったので、ちょっぴり後悔の念を持っていました。

そんな気持ちもあり、学ぶとはどういうこと?どうやれば学びが成功に結びつくのか?ということをずっと考え続けています。ある学者さんは「全てが出会い頭で学んできたように思います。」という話をされていました。また、本当の学びは答えが出ないものとも言われ、学んでその先に何があるのかと言うと自分の幅を広げる…そのために学んでいるのだということを言われていました。そういう方に共通することをよく考えてみると、必ず人生の転機にはキーとなる人との出会いがあるように思います。小学校の時は喧嘩をして友達を殴って叱られる。その時に叱られるだけでなく「ちょっと私の所に来い。」と言って一対一で教えてくれたことに興味が湧き、その人は考古学に目覚める。それから古墳を巡ってその後、中学生の頃に原稿用紙で200枚ほどのレポートを書き終えてしまう。そのままその道のスペシャリストになる方もいます。
また、恋人と一緒の大学に行きたいということで、勉強して、高い希望を持ってその大学への進学ではなかったが、恋人と別れてしまったが、専攻した言語をもっと深めてみたいと思い、その言葉を喋る国に行ってみたいということでその国へ赴き、そこで政治に出会って政治家の道を選んだという人もいました。

「なぜ学ぶのか?」それは自分の頭で考えて、自分の言葉で喋り、考えたことを実行して結果を得るため!という先生もいました。「確かに」と思ったものの、実行はできていないので絵に描いた餅になっているのですが、やはり自分はそういうものだろうかなぁと思い苦笑です。
今、農業をなんとか自分の手で成り立たせようということで一反の畑に大根やほうれん草、かぶら…最近ジャガイモを植え付けようと土作りをしているところです。ちょうどこれからどのように展開していこうかな?と思った時にふと自分の行動を考えてみると…自然と本に手が伸び、時間を見つけては読んでいます。関連のテレビも見ますしDVDで土の作り方を見たり、YouTubeで作物の作付方法を見たり、更には教えを請うことができる師匠を一所懸命探しています。師匠と呼ぶべきか方に会えたのですが、やはりすごい方でした。何もかも調べ、困った時は役場に行きヒントを貰い、畑ではその得たヒントを実際に試して作物を育て、それを加工し食品にしているとのことでした。私もこの方と一緒のことがしたいんだと改めて気づき、これからWeb上の繋がりが多くなりますが、情報のやり取りをして、頂いた情報をしっかり消化し、新しい学びを求めて頑張っていこうと思っています。国語、算数、理科、社会、英語の勉強をしてきましたが、これが本当の勉強だろうなぁ…学び方に最適な答えはないけれど一所懸命考えて、自分の幅を広げていくことなのだ!ということに気が付き始めた次第です。