言葉で表現をするということについて

2022-06-01

言葉で表現をするということについてお話ししたいと思います。

国語もその一つなのですが、勉強全般が私はそれほど好きにはなれませんでした。
「みんなが、するからした方が良いのでは?」というぐらいの考え方で、本当に他力と言うか、人の影響というか…「この問題をした方が良いよ。」と言われれば、やってみようかと思い、「あの塾は良いみたいよ。」と言われれば、「じゃあ一緒に行ってみようかな」といった具合でした。自分がどう考え、どのように動くということが弱かったように振り返っています。

国語もその一つなのですが、勉強全般が私はそれほど好きにはなれませんでした。
「みんなが、するからした方が良いのでは?」というぐらいの考え方で、本当に他力と言うか、人の影響というか…「この問題をした方が良いよ。」と言われれば、やってみようかと思い、「あの塾は良いみたいよ。」と言われれば、「じゃあ一緒に行ってみようかな」といった具合でした。自分がどう考え、どのように動くということが弱かったように振り返っています。

音楽が大好きな友達がいたのですが、その子は国語、算数、理科、社会はぼちぼちレベルか、もうどうでもいい状態でした。しかし、音楽で自分を表現するんだという強い意思があって、どの授業時間も紙に書かれた鍵盤に指を当てて、学校が終わった後、行くことになっているスタジオで演奏する曲の練習をしていたりしました。

絵で表現するんだということで、いつもデッサンをしていた友人もいました。ノート、教科書の白い部分…白紙の部分があれば常に何かのデッサンに挑戦していました。絵画コンクールには定期的に出展して高校生の部で入賞することもあったようです。

そんなすごい…友人達を近くで見ていたにも関わらず、私は何で自分を表現していけばいいのだろう?ということを考えるに至ったことがありませんでした。しかし、人ってよくできたもので、そういう場面や事に直面する機会が必ずやってくるものです。それが今につながっているというのが…畑で作物を育てたり、菓子工房でお菓子を作ったり…物を作るということで、自分を表現したいということにたどり着いたように思います。

あともう1つ、たどり着いたことに「言葉という媒介で自分を表現できればな~。」ということがあります。これは百人一首の大好きなおばあちゃんがいて、その人は上の句の決まり字を読むと下の句100首を全部言える方であったのですが「他に遊びがなかったから、遊んでいるうちに覚えたんよ。」と話されていました…すごい!

私も見習って覚えようと思い立ち「君がため 春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に 雪はふりつつ」という句…おそらく好きな人のために、また寒いのに出て若菜を積んでお味噌汁でも作るのかな?という歌なのですが。私は母親が子供達のために寒い中、畑に出て野菜を取って美味しいおかずを作り食事を食べさせてあげると解釈しました。

この句を読んだ時に感じるものがあり、それから言葉というものが更に好きになりました。そんな出来事で現在、この文章もその一つなのですが、言葉で何かをどなたかに届けるという活動を継続し、情報発信をしています。

言葉は良いなと思います。絵の具も要りませんし楽器も必要ないので、どのように表現しようかということを練るだけでそっと思いを届けることができます。確かに読書をして言葉を貯金していかないとないと、素敵な表現はなかなかできないとつくづく感じます。しっかりと貯金をしていかないと、今はTwitter等のSNSは便利でどんどん使えるのですが、言葉の洪水の中で溺れてしまいそうに感じることもあります。

短い言葉であっても、的確にその言葉の意味を読んで伝えることができるようになる、そうやって言葉で表現をしていく…それは畑でもいい加減に野菜を作って届けるのではなく、適確に時期を逃さず美味しい野菜を育てる。お菓子もいい加減に作るのではなく、しっかりと美味しいものを作る。そうやって自分の表現手段が見つかるとググっと楽しさが増してくると感じます。

過去を振り返っても取り返すことはできないのですが、小学校、中学校、高校に通っていた頃に、友達のように表現方法に気づいていれば、また違った道が見えていたのかもしれないなぁと思い出したりもします。あなたはどのような表現方法を使ってご自身を表現していかれますか?